今回のテーマは、「水子供養」の考え方

仕事や健康、商売や対人関係が上手く行かなくなった時
誰でも何かに原因を見つけようとします

思い当たる事もあれば、
どう考えても原因が分からない事も・・・

そんな時、
「貴方には、先祖の水子の霊が憑いている。」それが原因なのです!
何て言われたら、誰でも驚きますよね。

今の医療でこそ、
妊娠すれば、ほぼ高い確率で、
出産する事が出来る世の中
なので、無事出産できなければ、医療ミスとやら云われ
お医者様が責められる事になる

親世代、お爺ちゃんやお婆ちゃん世代は、
そうでは無かった
無事出産できるかどうかは半々
無事出産できても、育つかどうかは半々
50年以上もさかのぼれば、
水子(先立った幼子)さんは、どこのご家庭でもあった。
悲しい出来事だが、そう言うものだと割り切っていた。
そんな時代が、ついこの前まであった。
なので、どんな人でも、
2代3代4代さかのぼれば、
間違いなくご先祖様に水子さんがいる事になる

だから放っておいても良いと言っているのではない。
今日、自分が在るのは、ご先祖様のお陰と日々感謝し
その中に「名も無き水子さん」も入れて欲しい。

それともう一つ、
水子さんは、祟(たた)ったり障(さわ)ったりしないと私は考えます
しかしもし仮に、祟り障りがあったとして、
自分の健康や商売や諸々が思い通りに行く為に、
水子さんに障らないで祟らないでと願うのは
果たして本当の供養だろうか?

水子供養とは、
真摯に先立った幼子の冥福を祈る事であり、
我々を見守って下さい!
我々に力を貸して下さい!
と、お願いする事であり。
エゴを増幅するための行為ではない。

上に記した考え方は、
全てでも絶対でもありません。
一つに考えとしてご参考にして下さい。

 

それともう一つ、水子には大きく分けて二種類ある。

一つは、産みたかったのに産まれなかった場合
いわゆる、流産や死産がこれにあたる

もう一つは、産みたくなかった場合
いわゆる、中絶。

両者は、同じ水子だが全く違う。

前者は、母体に力が無かったのか、
子供に力が無かったのか、
色々な意味で御縁がなかったのだから、
誰も責められないし、誰にも罪はない。
正に縁がなかったのです。
あまり罪を感じすぎず、
亡き水子さんの為にも、
前に進む様に努力をして欲しい。

後者の場合は、
法律では認められているが、
殺人行為なのである。
諸事情色々あったであろうが、
親のエゴで、親の勝手で、
前途洋々とした一つの命の芽を摘んだのである。
これは、一生悔いて欲しいし、
一生反省して欲しいし、
一生償って欲しい。

これは、仏教としてではなく、
人の生きる道としてである。

 

拙寺でも、水子供養をさせて頂いております。

ご相談お問合せは、TEL:0745-69-5601へ